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東京地方裁判所 昭和23年(行)83号 判決

原告

イソ・ブラウン

水野イソ

外四名

被告

右代表者

法務総裁

主文

被告が昭和十七年五月八日に、内務大臣湯沢三千男の名において、原告水野イソに対して許可した國籍回復は、無効であることを確認する。

原告水野惠美子及び同水野昭子、同水野〓一郞及び同水野皓一は、いずれも日本國籍を有しないことを確認する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として次の通り述べた。

「原告水野イソは明治三十七年九月二十四日群馬県多野郡小野村立石四百七十六番地において、訴外細野仙太郞の二女として出生したが、大正十三年七月十七日英国人(イングランド・バーミンガム市)訴外亡ヱソチ・エフブラウンと婚姻し、英国国籍を取得すると同時に日本国籍を失つた。原告イソ及び夫ブラウンは婚姻後日本内地に居住し、両人の間に他の原告等二男二女をもうけ他の原告等もいずれも英国国籍を取得した。右ブラウンは昭和十年十月死亡したので、その後原告は、夫の遺業である食品製造事業をついで奮闘し、四人の子を育てておつた。ところが第二次大戦勃発後敵国人として扱われたため財産は凍結され、憲兵及び警察官の監視が厳重を極め、スパイ又は密輸の疑の故をもつて数囘家宅捜索を受け、隣人その他一般世間から敬遠乃至白眼視されるようになつた。このとき、原告イソの実父は原告等一家の将来を案ずるのあまり、原告水野イソの意思を確めようともせずに、原告イソの名を冒用し、昭和十七年三月二十五日付内務大臣あての国籍囘復許可の申請書を作成して、これを提出したため、同年五月八日付をもつて右許可が原告イソに通達された。このとき、始めて右のような手続のされたことを知つた原告イソは、同月二十八日東京都渋谷区長に一家創立の届出をしたので、原告イソが日本国籍を囘復するに伴い、その他の原告等は当時いずれも未成年者であり、子の本国法(英国法)に反対の規定はなかつたので、母である原告イソの戸籍に入籍し、日本国籍を取得した旨戸籍簿に記載されるに至つた、しかしながら、原告イソには、もともと日本国籍囘復の意思なく、その許可申請は全然原告イソの関知しないものであるから、これにもとずく許可は対象を欠く無効のものであつて、この無効の許可により日本国籍を囘復すべきいわれはない。従つて母である原告イソにそのことのない限り、その子である他の原告等も、母と共に日本国籍を取得することなく、原告等は法律上依然英国国籍を有するものである。(また、現に英国側からは、その取扱いを受けている)しかし原告等は、なお日本国籍を有する旨戸籍簿に記載されているので、原告イソは被告が同人に対して許可した国籍囘復が無効であること、ならびにその他の原告はいずれも日本国籍を有していないことの確認を求める利益があるから、本訴に及んだ次第である」。

原告等訴訟代理人は、証拠として甲第一号証ないし第四号証(第二号証は写)同第五号証の一ないし四を提出し、証人細野仙太郞の証言及び原告水野イソ本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の一の成立は否認する、ただし同証中原告イソ名下の印影が、同原告の印章の印影と同一であることは認める、同号証の二中区役所の証明部分の成立を認め、その余の部分は否認すると述べた。

被告指定代理人は、原告等の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とする、との判決を求め、答弁として次の通り述べた。

「原告主張事実中、その主張の国籍囘復許可の申請が原告イソの意思にもとずかないでなされたとの事実、従つて原告等はすべて有効に日本国籍を取得していないとの事実はこれを否認する。その余の事実は認める。右申請を原告イソの実父訴外細野仙太郞が、原告イソの意思を確めないでしたとの主張は、にわかにこれを信ずることはできない。けだし、かように、原告等の身分関係に重大な変更をもたらす国籍囘復許可の申請が原告イソに何ら相談なく右仙太郞によつて行われることは経験則上到底あり得ない。当時今次戦争の初期に当り、原告イソは、日本国籍を有していないことから種々の不利益を受けるであろうことも感知していた筈であり、これらの不都合を除くため、原告イソ自ら、或は少くとも同人の意思にもとずいて訴外仙太郞がこの申請をなしたものであることは、これを察するに難くない。これを要するに本件国籍囘復許可の申請は原告イソの意思によるものであつて原告等の請求は当を得ないものと思料する」。

証拠として乙第一号証の一及び二を提出し、甲第四号証の成立は不知、その余の甲各号証の成立及び同第二号証の原本の存在は認めると答えた。

理由

原告等主張の請求原因事実中原告イソ名義の國籍回復許可の申請が同原告の意思にもとずかないでなされたとの点及びその法律上の効果に関する点を除き、その余の事実は、すべて当事者間に爭いがない。

よつて右國籍回復許可の申請が、原告イソの意思にもとずかずになされたものかどうかを考える。

証人細野仙太郞の証言及び原告イソ本人尋問の結果を綜合して考えると、つぎのような事実が認められる。即ち原告イソと訴外亡ブラウンとの婚姻後、夫ブラウンは原告イソの示唆に從い内地に多量に生産されるトマトを有効に利用するため、これを加工することの工業化を思い立ち、トマトケチヤプの製造を創始し、ブラウン食品製造工場を興した。しかるに、昭和十年中、僅かに第一回の市販試作品を送り出す運びに漸く成功した折柄、夫ブラウンは壯年で急逝したため、その事業の完成と四人の遺兒の敎育とは、遺言によつて、すべて、若く未亡人とたつた原告イソのかよわい腕に委ねられた。原告イソは、深く亡夫の遺志を体し、よく奮励努力の結果、製品は質量共に向上し、一流食糧品商が一手に販賣を引き受けるまでになつて、好評を博し、これによつて、一家の生活も支えられてきた。亡夫の死の床においての原告イソの誓いは、かくして半ば実現されたのであるが、間もなく第二次大戰が勃発して、世を挙げて排外氣分が横溢する氣運になると、忽ちその営業は頓挫を來すようになつた、それと共に原告イソ等は、英國國籍を有していたため、その資産は凍結され、又原告等の日常市民生活面においては、官憲からは、一面監視され、他面不必要の保護が却つて迷惑となり、一般世間からは、敬遠され、白眼視されて、その社会的立場も必ずしも好ましいものではなくなつた。こうした中において、絶えず同情的立場に終始した一人は、原告イソの実父訴外細野仙太郞であつたが、少くとも毎月一回上京して、右原告等の日常を慰め、励ましていた。そうして、同人は、原告等殊に原告イソの窮情を察し、その打解策に腐身した結果、國籍回復の途のあることを知りえたが、原告イソが前述の通り、堅く亡夫ブラウンの遺志を守つているのを熟知していただけに、予め同原告に相談しても、到底その策に同意することはありえないと考えた結果原告イソに何ら相談なく自分の一存で、同原告の名を用いて國籍回復許可の申請手続をふんだ。從つて原告イソは乙第一号証の一、二(甲第二号証は、その写)の許可申請書の作成に全く関與しておらなかつた。しかも、そうした形式的の書面上の審査のみに基いてその許可の通知に接した原告は、父仙太郞の上京を迎え、この事実を告げて質した結果、始めて父仙太郞の意のあるところを知りえたに過ぎなかつた。こうした結果に立ち至つた原告イソは、これまでの心情に照していたくそのとるべき態度に思い悩んだが、他面目前の困惑を思い、父の盲愛に引きずられて、漸く既成の事実に目を閉じる心境に到達したので、その後直ちに日本人として自ら一家創立の届出に及んだが、その姓を選ぶについては、通常の事例に反して、わざと実家の細野姓に戻らうとしなかつた。また、子の名についても、その通学する学校の敎師に選定を求めて、せめてもの心やりを示したのであつた。

原告イソ名義の日本國籍回復許可の申請に関する経過の概略は、前段認定の通りである。さて、この事実関係によれば、同原告名義の申請は、全く同原告の意思に基かないのであるから、本來無効の行爲であり、從つてこの無効行爲を有効なものと前提してされた許可の行政行爲は、無効である。乙第一号証の一、二は、前認定の通り、原告イソの関知しないものであるから、右認定の妨げとならない。尤も、原告イソは後にこのことを知りながら、直ちにこの結果を否定する措置に出ず、むしろこれを奇貨として、戸籍の届出及び子の名の変更等の手続をふんで、無効の行爲を追認した形になつている。また、その後本訴の提起に至るまで、永く日本人として行動しており、今にわかに、本訴におけるような主張に及ぶことは、少くとも、公的に、信義に背き、いうべきでないことをいわんとする嫌いがあるよう見受けられる。しかし、飜つて前認定の当時における原告イソの心情、その操守、一般社会情勢等を思い合せれば、原告イソの意思乃至本意に反してまで敢てされた、尋常では動かしえない既成事実の下において、原告イソが当時においてこれと反対の態度に出ることを期待しようとすることは、格段の事情のない限り、通常人である原告イソに不能を強いる結果に帰するものといわねばならぬ。これを要するに、原告イソが、同人に対する日本國籍回復許可の無効を主張するについて、その妨げとなる事実はこれを認めることができない。

前段認定の通り、母たる原告イソに対する國籍回復許可が無効である以上、これにもとずいてなされた一家創立並びに、その法律上の当然の帰結(國籍法第十五條による)としての他の原告等の入籍による日本國籍の取得もすべて無効である。

してみればこれに反する記載が戸籍簿になされているのであるから、原告イソについては本件國籍回復許可が無効であること、他の原告等については日本國籍を有しないことにつき、それぞれ確認を求める利益があり、その確認を求める原告等の請求は理由があるから、すべて認容し、訴訟費用について民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。

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